『イスラームのロジック―アッラーフから原理主義まで』のエントリ第三回です。
第二章「日本とイスラーム」では、歴史的にイスラームとほとんど接点のなかった日本が、明治以降いかにイスラームと関わってきたかが語られますが、その邂逅は現代日本人の多くがイメージするほど困難な出会いではありませんでした。
イスラームが「かけ離れて」見えるのは、文化の問題というより、現代日本人が「生きた信仰」の理解を失っているからではないか、という指摘があります。
日本人にとってイスラームの理解が困難なのではない。イスラームの理解に困難を感じるのは、末法の果てに生きる「現代の」日本人である。
そして「現代の」日本人にとって理解が困難なのはイスラームだけではなく、あらゆる形態の生きた信仰で(ある)
現在は外国人労働者を中心に日本のムスリム人口も増えているわけですが、現代日本におけるイスラーム現況について、非常にうなずける一節がありました。
外国人ムスリムの絶対多数はイスラーム学の素養を欠き、それぞれの母国の慣習、伝統とイスラームとの区別ができず、また区別ができないことの自覚すらない。(・・・)
それゆえ現在、絶対多数を占める外国人ムスリムの間のイスラームに対する無知と歪曲が日本人ムスリムに伝えられて増幅され、拡大再生産される状況が定着している。
イスラームはもとより、信仰と名のつくものに須らく疎い現代日本人は、「通りすがりのムスリム」のような人を捕まえて「イスラームの何たるか」を知った気になってしまう可能性がありますが、これは大変危険なことです。しかもまた、この「ムスリム」が自信たっぷりに語ったりするからたちが悪い(笑)。
イスラーム研究ということでは、日本は良くも悪くも「中立的」立場に立ちやすいわけですが、中田氏は「様々なイスラーム」に公平にアプローチすることが可能であるかのように語る宗教学者中村廣治郎を批判し、一方で「中立性の僭称」問題に自覚的である人類学者大塚和夫氏の立場を評価します。
一方、現在のに日本のイスラーム研究において最も先鋭な方法意識の所有者である人類学者大塚和夫もまた、研究対象を中村と同じく「時代や地域の状況に応じてさまざまな現れ方をしてくる『小文字のイスラーム(islams)』とする。しかし大塚は、その選択自体を「イスラーム的基礎知識の蓄積」の欠如として相対化し、さらに「私はある意味で、本質主義的なイスラーム把握をしていることを認めざるを得ない。すなわち、『世俗的』なムスリムの生き方も、『シンクレティズム的』なイスラームのあり方も、諸イスラームというカテゴリーのなかに強引に引きずり込んでしまいしまい、そのヴァリアントと位置づけてしまうのである。」(・・・)「複数の小文字のイスラーム」という概念を使用すること自体が、イスラームに対するそれ自体一つの恣意的な本質主義的決断に基づくことを自覚している
大塚氏は個人的に好きなイスラーム系研究者の一人で、手に取りやすいところでは『イスラーム主義とは何か』などがお薦めです。
一方、ヨーロッパにおけるイスラーム研究は、言うまでもなくバイアスにまみれてきたわけですが、このヨーロッパとイスラーム世界の関係と、日本と中国・朝鮮の関係を比している伊東俊太郎『十二世紀ルネサンス』からの引用がとても興味深いです。
ところが日本人の日本史研究は、えてして朝鮮や中国のことを問題としないで、日本のなかだけで考えてゆく傾向があったし、いまでもそういうことが残っているかもしれません。そして朝鮮から影響を受けた、などということはなるべく隠してきました。
(中略)それと同じように、ヨーロッパの研究者の間には、西欧文明がアラビアから大きな影響を受けたなんてとんでもない、という気持ちがあるように思います。(・・・)日本古代史における『朝鮮問題』と西欧中世史における『アラビア問題』というのは似た側面があります。
イスラームのロジック―アッラーフから原理主義まで (講談社選書メチエ) 講談社 2001-12 |