中東 危機の震源を読む (新潮選書) 新潮社 2009-07 |
池内恵さんの「フォーサイト」での連載をまとめた一冊。
池内恵さんは、贔屓バイアスのかかりがちなアラブ・イスラーム系研究者の中で、一歩引いた視点から論じるスタンスが基本で、時に反イスラーム主義者と中傷されることもありますが、日本の政治的立場からすれば、こうした見方が寧ろ公平にも思えます。個人的には、ちょっと気に障る部分も少なくないのですが、これが現実なのでしょう。
特段の「アラブ贔屓」「イスラーム贔屓」がなく、純粋に現代中東情勢を眺めたい、という方には格好の本です。
個人的に面白く読めたエジプト関係の記述をいくつかメモ。
「コプト教徒問題」について。
エジプトでは公的には「宗派対立はない」ということになっていますが、現実には確執自体はあり、しかも単純に「ムスリム対コプト教徒」のような構図を成しているわけではありません。
近年の動きで留意すべきなのは、コプト教徒が以前に比して公の場で「黙らなく」なったということである。(・・・)また、コプト教徒の中にも宗教意識の高まりがみられる。これに呼応し、ムスリム同胞団の穏健派にはコプト教徒の宗教政治運動と連携して「世俗的」な現体制に対する批判勢力を結集しようという動きもある。
社会経済学者ガラール・アミーンが『エジプト人に何が起こったのか?』で語るエジプトの閉塞感。
「祖父は、改革は不可能であると思っていた。父は、改革は可能であり、そして何よりもイスラーム教徒を改革することが必要と信じていた。わたしも改革は可能と信じてきたがそれはエジプト人としての改革でなければならないととらえた。しかしわたしの息子の振る舞いや発言を見聞きするにつけ、イスラーム教徒としてであれ、アラブ人としてであれ、エジプト人としてであれ、改革などなしえないと信じているようだ」(・・・)「わたしの息子は祖父が初めた地点に戻ってしまった。社会は変えられない。もちろん世界全体を変えることなどできはしないと固く信じているのである」