厳密な用語は知らないが、生命維持を機械に頼って、生きながらえている状態の人がいる。「植物状態」とか漠然と言われている人々もそうだし、意識があっても機械が止まれば死んでしまう、という人もいる。そういう人の扱いや(可能な場合は)自己決定については、安楽死とかそういった文脈で語られるのだろう。
ところで、こんな想定はどうだろうか。
機械がなければ死んでしまう人がいる。ただし、この人は通常の「生命維持されている人たち」と違い、機械さえあれば至って健康である。多少社会生活上の不都合があっても、多くの人が抱えているのと同程度だ。場合によっては、「普通の人」より健康的で活動的ですらある。
この人は、機械を止めて欲しいと思うことはないだろうか。
あるとしたら、それは通常の自殺とどう違うのだろうか。同じだろうか。
彼または彼女の「自殺」は、むしろ「生命維持装置なしの生」という幻想に突き動かされたものだろうか。