幼稚さ、についてはよく考える。ある種の幼稚さには苛立たせられるのだけれど、一方でわたしこそとてつもなく幼稚な人間で、そもそも楽しいことは大体幼稚ではないのか、という気もする(楽しさにそこまで重きを置くこと自体が既に幼稚なのだが)。だからといって「幼稚でなにが悪い」と開き直るのもまた違う。「一定の幼稚さを認め合いましょう」みたいな何も言っていないおためごかしなど論外だ。幼稚さをネガティヴに糾弾するその振る舞い自体が幼稚で、つまり幼稚な人間は他人の幼稚さを許せないのだが、そうした不均衡、暴力性自体が浮遊的な可動項目としてわたしたちの言語空間に内属しているようにも思う。「幼稚な人間」ではなく「幼稚さ」として。