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『マフフーズ・文学・イスラム―エジプト知性の閃き』八木久美子

マフフーズ・文学・イスラム―エジプト知性の閃き
八木 久美子
第三書館 2006-09

 素晴らしい。
 この『マフフーズ・文学・イスラム―エジプト知性の閃き』を皮切りに、最近八木久美子先生に夢中です。現代思想系とアラブ・イスラーム、双方に関心があるならこれほど面白い著者もあまりいないはずです。もっともっと沢山書籍を出して欲しいです。
 自らがアラブ・イスラーム研究の道に入った理由を「わからないから」と述懐する姿勢にも、強く惹かれます。そういう先生がマフフーズを取り上げるのはとても理解できる。一昔前の、リベラルな風を受けてしまった冴えない日本のインテリ、特にニューアカブーム時に青春を過ごしてしまった可愛そうな人たち(笑)にはぴったりです。
 ちなみに、エジプト現代史を身に染み込ませる上でも有用な一冊。そういう目的で読む本ではありませんが、これまで何度となく学びながら今ひとつ飲み込みの悪かったエジプト現代史が、マフフーズという一人の偉人を通すことで、ずっと身近に感じられるようになりました。

僕は不信仰者ではない。今でも神を信じている。しかし宗教は?宗教はどこにあるのだ?それはどこかへ去ってしまった!

 マフフーズというと、ラシュディへの「死刑宣告」に反対するなど、欧米知識人好みの反逆児なイメージが先行しますが、彼は終始自らのルーツと信仰について向き合い続けた人です。因習としての宗教に疑問を抱き、スーフィズムに接近し「社会主義的スーフィズム」を掲げる一方、世俗を離れる修験道的姿勢を良しとしないスンニーらしさも見せる。この辺りのバランス感覚が素晴らしい。
 最後まで矛盾の消し去れないものの中にこそ、一片の真理が宿る。

マフフーズは、神秘体験を最終的な目的とするスーフィズムのあり方を否定する。彼は神秘体験そのものを否定するわけではないが、ただ単に神秘体験の中の幸福感を追い求めることは、セックスやギャンブルの高揚感のなかに身を委ねるのとは変わりないと考える。マフフーズが求めるのは、社会の中に身を置き自らの責任を果たすなかで、神の意志に近づこうと努力し続けることである。

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