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面倒臭い人

 面倒臭い、を切断ワードにしてしまうのは最悪です。
 もちろん、面倒臭いな、ということはしょっちゅうありますし、わたしも面倒臭いことは嫌いなのですが、めんどくせーなオイ!と言った、その後が肝心、ということです。「お前は面倒臭い奴である、故に価値が低い、あるいは話をする必要がない」というなら、そこで切ってしまう、ということです。
 別に徹底的に付き合うべき、というのではありません。付き合う時もあれば、付き合わない時もあるでしょう。大体の場合、ほどほどに距離をとるのが正解でしょう。そもそも、面倒臭い人の面倒臭い部分というのは、当人にとっても面倒臭いところで、なるべくそういうところでお付き合いはしたくないものです。
 しかし付き合わないことを「面倒臭い人」のせいにするのは筋が違います。人は常に面倒臭いのです。面倒臭い人がいて、その面倒臭さに付き合う度量のない自分がいて、結果、程よい距離に落ち着く、というだけの話です。重力と斥力というか、釣り合いのとれるところというのがあります。別に何のせいというものでもありません。
 ある一人の人間の中に面倒臭いところとそうでないところを見つけて、面倒臭くないところだけをつまみ食いする、というのは、不誠実とか何とかいう以前に、そもそもができていないのです。面倒臭くない部分、というのは、単に見ている側の幻想を被せている部分、つまり相手ではなく自身の膜の内側の話で、対象の属性などではありません。白昼夢のようなものです。何から何まで面倒臭くて、ただ距離の違いがあるだけです。
 面倒臭くない世界があり得る、というファンタジーは、ただ脳の汁だか何だか、そういうものが見せている幻影があまりに強力で、まだ一度も外の世界を見たことがないことから来る錯誤に他なりません。
 面倒臭いところこそがその人のコアで、距離には適切さというものがありますが、近づけば近づくほど面倒臭くならなければ嘘で、そうでない時は距離ではなく角度が違っています。角度だけは正確に持っておかないといけません。つまり、面倒臭さのコアに対して船首だけは向けておく必要があって、それが人に対する最後の誠意でしょう。その方向に向けてどれだけ漕げるかは、好みと度量の問題でしかなく、漕ぐ義務などは全くありませんが。

kharuuf

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