最近、كابتين مصر(キャプテン・エジプト)という、エジプトのおふざけ本を少し読んだのですが、フスハーとアーンミーヤの混ざる軽妙な本で、平易でかつ機知に富んでいてなかなか面白いです。特段値打ちがある本ではありませんが、作者はなかなか観察眼が鋭くセンスがあります。試しに極短い一節を訳して載せておきます。ほとんどは洋の東西を問わず通じるネタかと思います。
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思春期に達することで良いことは、椅子より小さいような子供に向けて大人たちがするバカげた質問からオサラバできることだ。
大人の質問は僕の想像を打ち砕き、気分をぶち壊した。わたしは、意味のある質問、つまり頭を使って、役に立つ新しい考え方とか面白い考え方への扉となるものを求めていたのだ。子供は、大人の世界へ近づくために、チャンスとなるような賢い質問を求めているのだ。
しかし面倒を厭うように、大人たちはバカげた質問にこだわり続ける。
1 パパとママのどっちが好き?
僕は何度も、この質問をしてくる人に「二人とも同じくらい」で納得してもらおうとした。しかし何と言うことか、質問者は特定の答えを得ることに固執するのだ。「だめだめ、どっちが好きかおっしゃい」。期待と違う答えを得ると、試験官のような顔をする。そして飽きてくると、わたしの肩に手を置いてこう言うのだ。「よしよし、よく出来た」。
何がよく出来たんだ?
2 大きくなったら何になりたい?
僕の答えはいつも一つで変わりない。「単に大きくなりたい」。それ以外のどんな答えにも納得したことがない。そもそも、今に至るまで、大きくなって何になりたいのか分からない。それで時々、質問する人がおふざけの通じる相手の場合には、ふざけた答えを返していた。「自動車部品を売る人になりたい」とか。
母がこの質問をしてきた時には「お医者さんになりたい」と答えた。彼女がそう望んでいたので。父には「お巡りさんになりたい」と言った。彼がそう望んでいたので。この二人が一緒に質問してきた時は、どう答えるか賭けていたようだったのだけれど、しばらく考えた後、こう答えた。「お医者さんのお巡りさんになりたい」。彼らはこの答えが気に入ったようだったけれど、鬱陶しい叔母がこう尋ねた。「お医者さんのお巡りさんが何をするのか知ってるの?」。そこで僕はこう言った。「知ってるさ、お医者さんだけを捕まえるお巡りさんだよ!」。
3 名前はなに?
この質問は大抵、親戚の名前も知らない人がしてくる。彼の方は僕の名前をよく知っている筈なのだけれど。
4 おじさんのこと、どれくらい好き?
この質問は大抵、プレゼントとかお小遣いの前に来る。そして期待されているのは、「海くらい」とかいった伝統的な答えとか、両手を広げて「これくらい」とかだ。
ある時、僕は姪にこの質問をしてみた。姪は僕にうんざりていたようで、両手を大きく広げて「これくらい、じゃない」と言った。
5 このお金で何をする?
父や親戚がお小遣いをくれた時には、必ずこの質問が来る。教科書的な答えは「貯金する」だ。他の答えは要らないからかいを招くだけだ。「甘いものならあげるよ」「バスブーサ(訳注:エジプトの伝統的なお菓子)なら食べたばかりだろ?」。
6 年上にそんな口をきいたらどうなるんだっけ?
なるほど、ではその年上が「そういう口」に相応しい場合はどうなるんだ?
7 嘘をついた子はどこに行くんだっけ?
場合による。
8 良い子はなんて言うんだっけ?
わかりました、ありがとうございます、すいません、ごめんなさい、もうしません。
9 こんな楽しい時間は誰のお陰だったっけ?
大抵、この質問をする人が楽しい時間をくれた人で、感謝して欲しいと思っている。
10 おじさんが親戚の誰だか分かるかな?
「おじさんの名前が分かるかな?」という質問に答えることに成功すると、この質問が来る。
11 おじさんに「ありがとう」は?
はい、ありがとうございます。
12 おしっこはどこだか、何百回も言ったでしょ
どこだっけ?
13 ぶたれたのに、なぜやり返さなかったんだ?
やり返せるなら、さもそもぶたれるままになんかなってない。
14 100まで数えられる?
何だこのアホな質問は。
15 英語で犬はなんていうんだっけ?
ホットドッグ。
16 学校で今日は何をやったの?
何をやったんだっけ?
17 今年は成績何番だった?
今年はそういう順番とかなかったよ!
18 ファーティハは覚えた?
あんたは?(訳注:ファーティハはクルアーンの最初の章で、多くのムスリムは暗記している)
19 詮索好きな質問
これは父や母がいない時に親戚とか近所の人から振りかかるものだ。「今日は何食べたの?」とか「サルワおばさんのクウェイト土産は何だった?」とか「お姉さんはどうして婚約破棄になったの?」とか「お父さん、昨晩は何で怒鳴ってたの?」とかだ。
20 思い出の質問
時々、大人は複雑な質問を持ってきて、正しく答えようとするのだけれど、慌てて変な答えになってしまうことがある。僕が小さい時、金曜礼拝の始まる大分前にモスクに行った。がらんとしたカーペットの敷かれた空間が嬉しくて、走り回ってしまった。するとイマームがやって来て、静かにこう言った。「このモスクが誰のものだか分かっているのかい?」。僕はすぐにこう答えた。「このモスクは、イマームのです!」。彼は笑って言った。「いや、このモスクは我らが主のもので、礼拝のために下さったんだ。遊ぶためじゃないよ」。