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書くということは、書くというその行為によってこちらも変容を被るということだ

 書くということは、書くというその行為によってこちらも変容を被るということだ。
 「まだ書かれていない自分の中の考え」を「言葉にして表現する」というようなものでは全然ない。
 そんなニュートラルなものはない。
 書いてしまうことによって、書きながら書いてる人間がどんどん変わっていく。
 殴り合いのようなもので、相手だってサンドバックじゃないんだから、動くし殴り返してくるし、それに応じてこちらも変化していく。それが自然というものだと思う。
 何が言いたいかというと、だから、「自分が書く」ということによって悪い影響を受けたくない、ということだ。
 悪い影響を受けるような書き方というのは、沢山ある。
 自分の中の黒いものを黒いままに書きなぐってしまう、というのは、しばしばやりたくなるものかと思うけれど(わたしはある)、そういうことをすると、自分が悪い影響を受ける。
 これは損だ。
 だからやりたくない。
 書いた結果、読む人がどう受け取るか、というのは知りようもないけれど、それ以前に自分自身が受ける影響、というのは、「この人」を何十年かやっていれば、ある程度予測がつくようになる。
 わたしは自分が可愛いので、書いた結果、自分が悪くなるとか、気分が憂鬱になるとか、そういうことはしたくない。
 なるべく、結果としては自分が楽しくなるように書きたい。

 愚痴ばかり重ねるような人は鬱陶しいものだけれど、そういう人に「他人のことを考えろ」とか言っても仕方がないと思う。わたしは他人のことなんか考えられていない。考えてるつもりでも、ロクに考えていないと思う。
 でも自分の損得勘定くらいなら、大抵の人間は大事にできる。
 他人がどう受け止めるかとは全然別問題として、吐いて得する言葉と損する言葉というのがあるし、得する書き方と損する書き方というのがある。
 これは単に技術の問題なので、練習と心がけ次第で必ず上達する。
 わたし自身もしょっちゅう失敗しているので偉そうなことは言えないのだけれど、なるべくなら書いている自分が良くなる、善くなるものを書くように努めている。
 その方が得なので。
 読んだ人がどう思うかは知らない。
 どうせなら読んで気分が良くなってくれた方が、もっと儲かった感じがして個人的には嬉しいけれど。

kharuuf

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