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『わが盲想』モハメド・オマル・アブディン

わが盲想 (一般書)
モハメド・オマル・アブディン
ポプラ社 2013-05-16

 ネット上でレビューを見て気になっていたのですが、最近本人のインタビュー記事を読んで、やっと購入しました。
 目の不自由な在日スーダン人による著書です。
 こう言ってしまうと実にサラッとしていますが、物凄いことです。著者は十九歳の時に鍼灸を学びに来日するのですが、その時点では日本語も点字もサッパリでした。知らない土地で暮らすというだけで不安なことなのに、目の見えない人が言葉も分からないまま、ほとんど予備知識のない東洋医学を学ぶ、というのは、想像を絶する苦労でしょう。
 最初の一章は著者がスーダンを発つ前、ライオンのように怖いお父さんを説得する場面にあてられているのですが、お父さんが反対するのも当然です。わたしが親だったら絶対許しません。目が見えない十九歳の我が子を世界の果てに送り込んで、鍼で人を治す怪しげな術を学ばせたい、などという親がどこにいるでしょう。
 本の中では軽快な調子で書かれていますが、当初は本当に大変だったことでしょう。最初に受けた学校の試験がさっぱり分からず、試験中に泣き出してしまう場面もあります。
 ただ、その後の著者の学習スピードは尋常ではありません。福井県で鍼灸を学ぶ傍ら、日本語能力検定の一級に合格、この時聴解が100点だったと言います。来日前にほとんど日本語を学んでいませんから、三年未満ということです。それに比べて自分のアラビア語は・・と思うと恥ずかしいです。
 しかも彼は目が見えないのです。目が見えないのに漢字を学ぶ。これだけで尋常ではありません。日本人で目の見えない方でも、苦労が多いことでしょう。

 このように物凄い能力を発揮するアブディンさんですが(本の中でアブディンで通しているので、そう呼ばせて頂きます。著者が書いている通り、アラブ圏ではファミリーネームという概念がほぼありませんから、本来ファーストネームまたはニックネームで呼ぶのが普通です)、文章の調子は一貫して軽快で、おちゃらけています。
 この本は目の不自由な方のための読み上げソフトウェアなどを駆使して、ご自身で日本語で書かれているのですが、とにかく文章が上手いです。
 「日本語が上手い」という意味ではありません。そんなものは遥かに越えています。日本人でも、こんな面白い文章を書ける人はなかなかいません。一気に読み通してしまいました。
 不思議なことに、読んでいるとアブディンさんにどんどんシンクロしていって、まるで自分も目が見えないような気がしてきます。見えないならこの本も読めない筈なのですが、そんな気分になるのです。
 アブディンさんの描写する日本には、音や匂いが沢山出てきます。目が見えない分、そうした感覚が鋭くなるのでしょうか。彼は声で美人かどうか判別できるそうですが、「目が見えなくてもこれだけのことが分かるのか」と驚かされます。それどころか、町による微妙な匂いの違いなど、普通の人ならまるで気にしないようなことを精緻に認識しています。
 アブディンさんは、そうした全体的な雰囲気として、福井は気に入ってもつくばはお気にめさなかったようですが、これはなんとなく分かります。とくにスーダン人にとってはつくばは寒々しい(気候という意味ではない)感じがするでしょう。なんというか、日本人から見ても人工的すぎて匂いがない感じがします。
 「社会人というカルト宗教」という章では、就職活動が始まった途端にそわそわし、就職と同時にすっかり別人になってしまう日本の学生のことが描かれています。ここで感じる気持ち悪さというのも、非常によく分かります。わたし自身、まったく適応できずに「社会人」になれなかった(未だになっていない気がする)人間ですので・・。

 とにかく、世に多い「ガイジンの見た日本」系の本とは、一線を画する好著です。
 個人的に親しみのあるエジプトのお隣スーダン(歴史的にはほとんど一つの国)、ということで、特別に思い入れもあるのですが、そうした関係が全くなくてもめちゃくちゃ面白い本です。是非一読をオススメします。

kharuuf

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kharuuf
Tags: スーダン

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