最近時々、「エスカレータで歩くな」という話を聞きます。
ぶつかることによる危険、トラブル、左側だけ(関西では右側)に乗ることの機械的負担、実は歩いても早くない、等々のポイントがあるようです。場所によっては「歩かないで」という張り紙があるところもあるそうです。
わたし自身は、なんとなく流れで右側に行ったら歩くし、左側なら立っているし、くらいのテキトーなスタイルです。大抵の人がそんなものかと思います。
立っている人に対して文句を言うとか、ぶつかっても謝らないようなのは論外ですが、「急いでいるなら階段で行け」というのは尤もな話で、エスカレータに乗る以上、無理して歩くことはないでしょう。ただ「歩いたら絶対アカン」みたいな「マナー」を定着させようとするのも、「片側空けるマナー」と同じくらい気持ち悪いのでやめて欲しいですが。
これに関連して、「片側空けるのは実は輸送上合理的ではない」というのを計算して証明しているページがあったのですが、どこだったか見つけられません。キッチリ二列になって乗っていれば、片側を歩くより単位時間あたりの輸送人数が多い、みたいな話だったと思います。
これはこれで面白いのですが(キッチリ二列になんてならない、とかいった細かい話は置いておいて)、エスカレータ歩行を諌めようとするのに、こうしたアプローチをしてもあまり効果がないのでは、と感じました。
というのも、自分自身が歩いている時を振り返っても、エスカレータで歩く人というのは、必ずしも急いでいて歩いているわけでもなければ、それで格段に時間が節約できるとも思っていないからです。
「歩いた方が早いに決まっているじゃないか」と言えば、まぁ確かに多少は早いでしょうが、そう答えたとしても、その人を歩かしめている本当の力動というのは、別の場所にあるはずです。
本当のところ、歩いている人というのは、単に手持ち無沙汰だから歩いているのです。
ただ立っていると、待っている時間が退屈なので、タラタラと歩いてみているのです。
それなら階段で行けば良いのですが、エスカレータがあるのに階段で行くとなんだか損した気分になるし、疲れるので、そこはエスカレータに乗りたい。乗りたいけど、乗ったら乗ったで退屈なので、ちょっと歩いてみる。
そうした心的力動が働いている筈です。
これは、いわゆる先進諸国の比較的安寧な世界に暮らすことを選びながら、同時に一定の刺激を求める人々、つまりわたしたちの大多数の基本的生活様式に通じるものがあります。
中米でギャングに怯えながら暮らしたり、本当に弾丸の飛び交う戦場に身を投じたり、一日靴磨きをしてやっとパンを買うような暮らしは御免被りたい訳ですが、一方でただ部屋でゴロゴロしていても退屈なので、安全に刺激を楽しむための仕掛けが色々と提供されています。
これは別段、安寧な暮らしの中で娯楽的刺激を求める人達が卑劣だとか、そういう話ではなく、人間の生のかなり根本的な有り様から来るものでしょう。猫もカラスも遊びますし、よせばいいのにバカな遊びをやって命を落とすこともあります。人間だってパラグライダーくらいやります。
確か西田正規氏が『人類史のなかの定住革命』で、本来移動して暮らすヒト(というよりほとんどの大型哺乳類)が、定住することで、何らかの移動的刺激を求めるようになった、という話をされていましたが(うろ覚え)、「安定的にのんびり暮らしたいけどちょっと刺激が欲しい」というのは、まったくもって正常というか、当たり前の様式ではないかと思います。エスカレータの例など、それこそ「移動するのヤだけどちょっと移動したい」話です(乗り物の快楽というのは須らく「移動したくないけど移動したい」矛盾から来るものではないでしょうか。犬も大抵自動車に乗るのが好きです)。
こういう時に、「ぶつかると危ないから」とか「実は立っている方が合理的」という話をしても、それはそれで誠に尤もなのですが、あまり人を動かす言葉にはならないのではないかと思います。歩いている人は(というより、人というものは須らく)そんな筋道立てて振る舞いを決めている訳ではないからです。
そこで思い出したのが、次のエピソードです。
「荷物の待ち時間が長い」空港のクレームを激減させた驚きの解決法とは:らばQ
ここでの解決法とは、「荷物の引き取り場所を遠くに設定し、客に空港内で長い距離を歩かせるようにした」というものです。
待っている人間がイライラするのは、手持ち無沙汰だからです。その間歩かせるようにしたら、それだけでクレームが減った、というものです。
これはどこをどう考えても合理的な方法ではないのですが、とにかく結果として気持ちが収まった訳で、その感じはとてもよく分かります。人間、こんなもんでしょう。
エスカレータを歩くのをやめさせるなら、立ってボーッとしている間の暇つぶしを付けるのが一番良いのではないかと思います。
具体的にコレというアイデアがある訳でもないのですが、最近の電車についているみたいな広告ディスプレイでもつければ、鉄道会社は広告収入も得られて一石二鳥でしょう(個人的には、この方法はウザいのでやめて欲しいですが)。
単純に、エスカレータの横面に何か見るもの、できれば正面から見ないといけないものを付けておくだけでも効果がある筈です。正面から、というのは、エスカレータ進行方向に対して直角、という意味です。仕切りを付けるとか、液晶ディスプレイや昔の下敷きにあったみたいな「飛び出す映像」のようなもののように、正面からでないと綺麗に見えないものでも良いです。人間に限らず、ほとんどの哺乳類は鼻先の向いた方向にしかちゃんと歩けません。何か面白いものがあって、鼻先が横を向くと、普通は自然に脚が止まります。犬だと確実な一方、人間の場合歩くことが出来なくはないのですが、それでも大抵は脚が止まるものです。特にエスカレータの場合、階段ですので、普通の身体感覚を備えた人間であれば反射的に止まる筈です(一方で、たまに物凄い鈍い人がいて、かえって事故を誘発する危険がないとは言えませんが・・)。
もちろん、ここで目に入るものは、それなりに文字通り「衆目を引く」ものである方が良いです。誰もが使うものなので、あまりトリッキーなものだといけないと思いますが、その辺は良いアイデアのある人が沢山いるでしょう。
こうして「エスカレータで歩くか歩かないか」なんて話でケンケンガクガクできるのも、実に安寧な世界での暇つぶし的娯楽な訳ですが。