イラク―米軍脱走兵、真実の告発 Joshua Key Lawrence Hill 井手真也 合同出版 2008-08 |
イラクの現実を伝える書籍は、少なくありません。主にジャーナリストの手によるこれらの書籍から得るものは多いです。ただ、一米軍脱走兵が、自らの体験として語ったこの本から受けたインパクトは、特別なものでした。涙が溢れ、止まらなくなりました。
ジョシュア・キーはオクラホマの片田舎で育った、平凡で貧しいアメリカ人。ものごころついた頃には実の父は離婚しておらず、母親に寄り付く男は暴力を振るうアルコール中毒のロクデナシばかり。トレーラーで育ち、九歳で銃の撃ち方を覚えた。「格差社会」アメリカの、絵に描いたような貧しい青年というわけです。
結婚し子供をもうけたものの、貧困からは抜けられず、甘い話に引かれて陸軍に入隊。「戦争には行かず、橋の建設をする」という話は大嘘で、「地獄のイラク」に飛ばされてしまいます。
語られる訓練風景はあたかもアメリカ映画そのままのようで、「イラク人は子供まで皆テロリスト」といった話が本気でされ、しかも教育のない米兵たちが、そのまま全部とは言わないまでも、大枠で信じてしまっているようです。人種差別の陰の残る片田舎。彼が尊敬し、「善悪の分別を教わった」という祖父も、黒人やアジア人には軽侮を隠さない世界です。そしてジョージ・ブッシュの語る「大義」を、少なからぬ、というより大方のアメリカ人が本当に信じてしまっていたのです。
イラクではパトロール一つも命がけ。「子供もテロリスト」というなら、市場でも路上でも安全な場所などひとつもありません。そういう極限の不安が、米兵たちを狂気へと駆り立てていきます。
「テロリストを狩り出す」ために繰り返される「家宅捜索」。最初のうちは、筆者も本気で「テロリスト」を見つけようとしています。ところが、来る日も来る日も、突入した家は平凡なイラク家庭にすぎません。米兵の乱暴狼藉は言語を絶し、金品の略奪や婦女暴行が当然のようにまかり通っています。筆者は次第に、アメリカの「大義」に疑問を抱くようになります。テロリストを探していると言いながら、我々こそがテロリストではないのか。
現在のイラクは、現実に「子供もテロリスト」という無政府状態に陥ってしまっています。しかし、少なくとも米軍の侵攻当時は、そこまでの大衆的憎悪が米軍に向けられていたわけではないし、世俗的なイラク人に自爆攻撃をするような者はいませんでした。フセイン政権下で弾圧されてきた人々にとっては、本当に「解放軍」だった時もあったのです。
そのイラクを疑心暗鬼と暴力の奈落に突き落としたのは、他ならぬアメリカです。突然家に押し入り、金品を略奪し乱暴を働き、男たちは誰彼かまわず連行する。拷問と酷い侮辱が行われ、場合によっては二度と帰らないこともある。こんな行いを受けては、平凡な市民が「テロリスト」に変貌したとしても無理なからぬことです。それは「テロリスト」ではなく「レジスタンス」と言うのです。
しかし、米兵一人一人が倫理観のかけらもない人間であったとは考えにくいです。筆者を含め、ほとんどの青年は多少無知であったとしても、貧しい平凡な市民だったはずです。極限の不安と大義の見えなさこそが、彼らを残虐な占領軍に変えていったのでしょう。本国への帰還時にイラク人の腕や耳を持ち帰ろうとした兵隊が一人ならずいた、というエピソードがありますが、入隊前に彼らがそんなことを思いつく人物であったとは考えにくいです。
中でも特にショッキングだったのが、切り落としたイラク人の首でサッカーに興じるアメリカ人と、筆者になついて食べ物をねだっていたイラク人の少女が、突然理由もなく目の前で「友軍」の銃弾に斃れる場面です。
こんなことが赦されて良いわけはない。この地上に、絶対にあってはならないことだ。本当に、読んでいて苦しく切なく、逃げ出したくなりました。自らの体験としてこれを綴った時の彼の心中は、いかほどのものであったでしょう。
数日後、ぼくはジョーンズ軍曹にこの戦争の意義を尋ねた。
「意義なんてものはない。単なる仕事だ」
「でも、この戦争を正当化する理由はなんでしょう?」
「正当化する理由は、お前が契約書にサインし、ここに来るように命じられたということだ」
「でも、いつかわたしは帰国するのでしょう?」
「われわれの望む限り、お前はここにいる。そして、われわれはお前をけっして帰国させはしない」
外国人がアメリカを侵略し、イラクの人びとに対してわれわれがやったことのほんの十分の一のことをやったとしたら、ぼくはどうするだろう? ただちに抵抗と反撃に立ち上がり、あらゆる知恵を傾けて占領者を吹き飛ばそうとするだろう。ぼくのふるさとのオクラホマに穴を掘り、林の中に地雷を仕掛け、通りかかる敵を吹き飛ばそうとするだろう。手に入れられる限りの迫撃砲弾と携行式ロケット弾を撃ち込むだろう。間違いない。もし、誰かが我が家に押し入り、家族をおびえさせたりしたら、ぼくは敵に目にものを見せる戦力になってやる。独自の仕掛け爆弾を開発し、おもいもよらないような殺傷方法を考えてやる。一度死んでも生き返って、占領者にとことん地獄を味わわせてやる。
悲惨極まりないエピソードが続く中で、少しほっとして、また「アラブ人らしい」と感じさせられたのが、病院警護中に言葉を交わすようになったムハンマド医師との次のやりとりです。
「出身はどこだ?」
と彼は尋ねた。ぼくは彼にオクラホマでの暮らしのことを少し話した。ぼくが貧しい中で育ったと聞いて、彼は多くのイラク人と同じようにひどく驚いた。けれども、ぼくには妻と三人の息子がいると知ってほっとしたようだった。
「アメリカ軍はいつ撤退すると思う?」
彼はぼくに聞いた。
「ぼくには分からない。でも、ぼくたちはここにすごく長く駐留することになるような気がする」
彼は顔をゆがめた。
「あなたに言いたいことがある」
とぼくは付け加えた。
「あなたがぼくらにいなくなってほしいのと同じくらい、ここから抜け出すときをぼくは待ち望んでいるんだ」
彼はそれを聞いて声を立てて笑った。
(・・・)
「オクラホマではどんな仕事をしていたんだい」
「見つけられる仕事はなんでも。塗装とか、ピザの配達とか。だけど、ぼくが本当にしたいのは、溶接の仕事なんだ」
「わたしの国も溶接工を雇うかもしれないよ」
「ここでやっていることは、ぼくにとってはひとつの仕事にすぎない。ぼくにとってもわけが分からないことばかりだ」
「仕事?」
彼は戸惑った顔をした。
「あなたはここにいる他のアメリカ人たちとは違うね」
次にぼくたちが病院の外で会ったとき、ムハンマドはぼくに小型版のコーランをくれた。アラビア語で書かれていたけれど、ぼくはこの贈り物に心打たれた。上官に見つからないように、ぼくはその本を素早くズボンのポケットに滑り込ませた。
「これがあなたの助けとなりますように。そして、あなたが愛する人たちのもとに安全に帰ることができますように」
彼は言った。
一人でも多くの人に、この本を読んでもらいたい。そして少なからぬアメリカ人にとっては「裏切り者」であり、祖国の地を踏めば犯罪者に他ならない彼の勇気を、心から敬意を表したい。
この本の原書はThe Deserter’s Tale: The Story Of An Ordinary Soldier Who Walked Away from the War in Iraq