「日本には四季がある」系のヘンテコリンな妄言があります。日本には特有の季節の移り変わりがあり、他にはない四季折々の風景やら何やらがある、という、郷土愛を装った居酒屋のオヤジ話みたいなアレです。
自分の母親も言っていたので別段新橋オヤジの専売特許ではないのでしょうが、季節の移り変わりくらい世界中どこにでもあります。もちろん平均気温やその季節による変化の度合いは違うでしょうが、南極にだって季節くらいあるでしょう。そして探せば一つや二つは特有のものがあるものです。
大体、特有だと何か偉いんですか。携帯の規格はガラケーとか言ってバカにするのに、日本猿が温泉に入っているとなぜ鼻高々なのでしょう。百歩譲って鼻を高くして良いのは猿でしょう。
でも、面白いことに、この「我が国には四季がある」系の発想というのは、別段日本特有ではないようです。わたしの乏しい経験の範囲でも、ちょっと知らない国のことになると「一年中暑い」「ずっと寒い」「季節の変化がない」と軽く切り捨ててしまう言葉を何度も聞きました。まぁ、知らない国の話になれば、ステレオタイプで考えてしまうもので、何となくイメージでずっと雪が降ってるだの何だの漫画的にまとめてしまうものなのでしょう。
「日本には四季がある」は、四季と同じくらい世界中にあるようです。
今に始まった話ではないでしょうが、こういう「自然」における特徴を挙げ連ねて「素晴らしき日本」言説につなげる話が語られていると、非情にムズムズして気持ち悪いです。NHKなどが平然と放送していますからね。
まぁわたしも個人的には日本の気候風土は好きなので、こんな素晴らしい土地であるから、是非異教徒どもを皆殺しにして同胞の地としよう、とフリーザのような野望を抱くのですが、こっちの発想では「自然」ではないというのはどういう理屈なんでしょうね。