Categories: ノコリモノ

正しさは適度に覆われなければならない

人を傷つけることが悪なら、正しさそのものも悪となり得る。
勿論、正しさそのものが悪なわけではない。
ただそれは多分、適度に覆われるべきだ。身体そのものが悪でなくても、服をまとうように。
ただ顔をと手をさらすに留め、本当の正しさは定められた人々のところまでとっておけばいい。
別段、あからさまに善行をひけらかすことを言っているのではない。
本人すら意識しない、その正しさの眩しさを意識できない、そうした純粋さが、適度に覆われるべきなのだ。
純朴さをさらして許されるのは、子供だけなのだろう。
多くの人々は、悪辣なのではなく、ただ正しさの正しい扱いを忘れてしまっている。
わたしたちは、与えられた正しさに気づき、その正しさで人を傷つけ、心惑わさないよう、身につけるべきものがある。
正しさと正しさへの慎みは、多分あわせて一つなのだ。
裸で正しいものなどない。

kharuuf

Share
Published by
kharuuf

Recent Posts

カミユ『ペスト』

 カミユの『ペスト』を漫画化し…

1年 ago

私信です

このポストはまったくの私信です…

4年 ago

不可知論のギリギリ一歩手前で永遠に宙吊りにされた

何が正解かわからないから人はパ…

4年 ago

体験の墓石

写真は多くの場合、最初は体験と…

4年 ago

過去が圧倒的にわたしたちを飲み込んでいる

過去を肯定する、という言い方は…

4年 ago