人を傷つけることが悪なら、正しさそのものも悪となり得る。
勿論、正しさそのものが悪なわけではない。
ただそれは多分、適度に覆われるべきだ。身体そのものが悪でなくても、服をまとうように。
ただ顔をと手をさらすに留め、本当の正しさは定められた人々のところまでとっておけばいい。
別段、あからさまに善行をひけらかすことを言っているのではない。
本人すら意識しない、その正しさの眩しさを意識できない、そうした純粋さが、適度に覆われるべきなのだ。
純朴さをさらして許されるのは、子供だけなのだろう。
多くの人々は、悪辣なのではなく、ただ正しさの正しい扱いを忘れてしまっている。
わたしたちは、与えられた正しさに気づき、その正しさで人を傷つけ、心惑わさないよう、身につけるべきものがある。
正しさと正しさへの慎みは、多分あわせて一つなのだ。
裸で正しいものなどない。