とりあえず選ばれた写真の中で家の写真は全部要らない。半分から三分の二くらい何らかの建築物だけれど全部要らない。ほとほと愛想が尽きた。建築とか建築の崩れたのとかを愛をもって撮って面白くできる人はいるけれど、わたしが建築物を撮るのは他になにもないからせめて家でも撮るかと多少なりともマシそうなものを見つけているだけで、家なんかほんとどうでもいいしいつもイライラして怒り狂っている。家しかないこの世界を燃やしたいし家も燃やしたい。崩れてる家はまあ面白いとは思うけれどそれもほぼ仕事だしどうせ関わるのだから楽しもうというところから始まっているのだから愛がない。愛がないというか興味がない。興味があっても頭で考えている。わたしは頭を使うのが大嫌いなのだ。そうやって築いたり学んだり身につけたりしたものが嫌いで嫌いで仕方がない。金のためにやっている。筋肉とセックスだけでいいじゃないかと思うけれどそれもまだ考えている。筋肉もセックスもまだ一ミリくらい頭のものだ。一ミリどころか結構頭のものではないかと思う。そんなところでもう自然だと思っている低能どもを皆殺しにしたい。性欲とか食欲とか全部人間が頭で考えたものだ。そういう簡単なところでイメージに負けてしかも負けたことにも気づいていないカスどもが心底目障りだ。そいつらを殺すためにやっている。本能とか衒いもなく口にして平然としているゴミどもだ。これがテロなのだ。ヤツらから言葉を奪わないといけない。家は言葉でできている。いやむしろ言葉が家でできている。それでもまあ家しかない家しかないクソがクソがと呪詛を吐きながら三分の一くらいなにか別のものがあるのだからそれはなにかではあるのだろう。そこにある共通項みたいなものはわかっているのだけれど狙うことはできないし狙えば頭のものになる。そんなものは全部要らない。わたしの細胞の九割くらいは要らない。クソしかない。残りの一割は動物だ。動物ってなんだ。そんなものがあるのか。おはようアニマル。おやすみなさい。