数えられなかった羊

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アラブ、イスラーム、アラビア語、エジプト、現代思想、言語・精神分析 書評と翻訳と雑記

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Posts tagged ラカン

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長押し、時間の空間化、象徴化

 元Macintoshユーザーで、今も古いiBookは一つ持っているのだけれど、Macintoshは既定で右クリックがないため、長押しという動作がよくある。
 別にMacintoshではなくても、長押しという操作が必要な [...]

屈折語、古い教会、意味の充溢

 古く複雑な屈折語は、次第に簡素化し屈折的特長を失い、孤立語や膠着語に近い形へと変化していく傾向がある。現代英語が典型だが、ラテン語とフランス語・イタリア語等についても同様のことが言えるだろう。
 正則アラビア語はラテン [...]

ミミを閉ざす、イミを閉ざす

 本当に、耳を閉ざすことができない、ということが決定的なのだ。
 意味は、常にわたしたちが理解する前に現れる。
 理解が意味を示すのではなく、与件のように意味がやってくる。そして耳は、聞こえすぎないことにより音を分節する [...]

不滅のものは増殖してはならない

 利子の禁止、あるいは「腐る貨幣」の導入とは、決して「不労所得はよろしくない」などというお説教ではない。
 その目的はもちろん、「お金を回す」ためだが(渋滞解消)、より核心に迫るなら「不滅のものは増殖してはならない」とい [...]

美は羊たちを静かな眠りにつかせ、愛は不愉快で避けがたい目覚めを仲裁する

 <思考するわたし>が「見るわたし」だとしても、<存在するわたし>は「見られるわたし」ではない。
 というのも、わたしたちが「見られるわたし」と呼んでいるものは、正確に言って「見られているのを見ているわたし」でしかないか [...]

神の意志がどこにあるのか、その転移によってのみ、意味は運動している

 世界は意味で充溢しているが、意味に意味はない。
 意味による充溢という精神病的モデルを唾棄するのは、むしろ特殊近代的な神経症的モデルにすぎない。わたしたちは、とても長い間意味によって満ちた世界を生きてきたし、今も生きて [...]

「わかっていない」ことをわかってしまっている時、わたしたちは外国語を上手く話せていない

 真理を語っている時、わたしたちは常に「自分の言っていることがわかっていない」。
 そして母国語で話す時、あるいは十分にある言語に「感染」されたとき、わたしたちは「自分がわかっていない」ことがわからなくなる。
 慣れない [...]

言語に少なくとも一つの盲点がなければ、意味と世界は区別が付かなくなる

 固有名詞の誘惑は、死の欲動に由来する。
 何か欠片のようなもの、言語経済の外に根を張ると想定されるもの。
 しかし実は、その欠片が正しく欠片として機能するのは、言語の臨界という意味で、正しくそれが言語に依拠しているから [...]

言語への慣れ、物質的なもの

 ガザ報道の新聞記事などを読んでいて、単語を辞書で引いた時に凄惨な意味だったりすると、ギュギュッと心臓が押えつけられるようです。
 ここで気になるのは、パレスチナの方には申し訳ないですが、「辞書を引いただけで辛い気持ちに [...]

ガザ、罪悪感、犠牲

 ガザのことでは毎日胸が締め付けられるようです。
 それと同時に何度も回帰してくるのは、なぜアメリカがこれほどまでにイスラエルを守るのか、アメリカのみならず欧州諸国全般もまた、他の国であれば到底許さないであろう暴虐に対し [...]

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