わたしの欲望は、アッラーの欲望であり、ただアッラーのみの欲望である
إن هو إلا ذكر للعلمين
لمن شاء منكم أن يستقيم
وما تشاءون إلا أن يشاء الله رب العلمين
これ(クルアーン)こそは,万人への教訓に外ならない [...]

アラブ、イスラーム、アラビア語、現代思想関係書籍の書評、映画レビューと言語・精神分析を巡るメモ
إن هو إلا ذكر للعلمين
لمن شاء منكم أن يستقيم
وما تشاءون إلا أن يشاء الله رب العلمين
これ(クルアーン)こそは,万人への教訓に外ならない [...]
相変わらず、イスラームというと五回の礼拝がどうとか断食がどうとか、そういうところからしか見られない上、無遠慮に他人の信仰実践に介入する(これは非常に失礼なこと)人が日本には多いです。まぁ、イスラームのみならず信仰という [...]
イスラームに惹かれ学びながらも踏ん切りがつかなかった時、エジプト人の友人と「わたしは半分ムスリマだからねー」と話していて、「いや、○○は完全にムスリマだ」と言われたことがありました。この時、自分の中での重荷がストンと落 [...]
وإن جهداك على أن تشرك بي ما ليس لك به علم فلا تطعهما وصاحبهما في الدنيا معروفا واتبع سبيل من أناب إلي ثم إلي م [...]
イスラーム関係の、特に一般向けのリーフレットなどに、「イスラームはこんなに科学的」といった論調のものが時々見られます。以前カイロで見たフィルムでも「クルアーンのこのアーヤは最近の物理学の発見したこんな現象を予見している [...]
『原理主義から世界の動きが見える』の中で、手島勲矢氏が、「一神教」と「多神教」についてハッとさせられることを書かれています。「一神教」「多神教」という構図をこれほど多用し社会現象に援用するのは特殊日本的であり、その背景 [...]
『原理主義から世界の動きが見える』の中で、中田考先生が面白いことを指摘されています。
(・・・)日本というのは決して寛容な世界ではないわけです。日本に当てはまらないと思ったものに関しては、いかに残酷になりうるのかという [...]
『イスラームのロジック―アッラーフから原理主義まで』のエントリ第四回です。
第三章「アッラーフ」第四章「預言者ムハンマド」第五章「ウンマ(イスラーム共同体)の歴史」と、後半はイスラームの教義的側面と歴史の概説に話 [...]
『イスラームのロジック―アッラーフから原理主義まで』のエントリ第三回です。
第二章「日本とイスラーム」では、歴史的にイスラームとほとんど接点のなかった日本が、明治以降いかにイスラームと関わってきたかが語られますが [...]
中田考先生の『イスラームのロジック―アッラーフから原理主義まで』について続けます。
第二章「イスラームと現代社会」から、イスラームと世俗国家について。
存在する社会集団と個人の多様性を暴力的に抹消し、無理やりに均質 [...]