数えられなかった羊

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アラブ、イスラーム、アラビア語、エジプト、現代思想、言語・精神分析 書評と翻訳と雑記

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Archive for ノコリモノ

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人間と神様は、併せて一つ

 大分以前に本にしてもらった小説の中で、「動物宗教」のことをちらっと書いた。
 脈絡もなく数行だけ挿入されるエピソードだが、世界の終わりにふと動物の心が読めるようになり、覗き込んで見ると、動物は皆一つの宗教を信じていて、 [...]

誰かとわたしを間違える

 ある人を別の人と勘違いしてしまう、ということがある。
 記憶の中で、Aさんのことだと思っていたら、Bさんのことだった、というようなことだ。
 あるいは、もっと素朴に、顔と名前を取り違えて覚えていた、ということもあり得る [...]

雨の休日は時間が見える

雨の休日は時間が見える。
働いている時、活動している時の時間は、時計の針でバラバラにされていて、残った死体がWindowsの右下でピクピクしている。
雨の休日は時間がのっぺりしている。
のっぺりしたまま、飴のように伸びる [...]

生命維持装置なしの生

 厳密な用語は知らないが、生命維持を機械に頼って、生きながらえている状態の人がいる。「植物状態」とか漠然と言われている人々もそうだし、意識があっても機械が止まれば死んでしまう、という人もいる。そういう人の扱いや(可能な場 [...]

「それはあなたの声ではないですか」

「それはあなたの声ではないですか」
「そんなはずはありません。わたしは声が出ないですから」
 いかにして「狂人」の言葉は、真理を射当てているのか。
 確かに、彼または彼女に、自由に語れる言葉などない。人間たちが「彼の言葉 [...]

ミミを閉ざす、イミを閉ざす

 本当に、耳を閉ざすことができない、ということが決定的なのだ。
 意味は、常にわたしたちが理解する前に現れる。
 理解が意味を示すのではなく、与件のように意味がやってくる。そして耳は、聞こえすぎないことにより音を分節する [...]

美は羊たちを静かな眠りにつかせ、愛は不愉快で避けがたい目覚めを仲裁する

 <思考するわたし>が「見るわたし」だとしても、<存在するわたし>は「見られるわたし」ではない。
 というのも、わたしたちが「見られるわたし」と呼んでいるものは、正確に言って「見られているのを見ているわたし」でしかないか [...]

目印の瓢箪

 ナスレッディン・ホジャ、あるいはジョハーの物語に、こんなものがあった。
 ある愚か者が、初めて大都会に行き、あまりの人の多さに驚いた。
 こんなに人がいては、どれが自分だかわからなくなってしまうと思い、寝る前に瓢箪を足 [...]

神の意志がどこにあるのか、その転移によってのみ、意味は運動している

 世界は意味で充溢しているが、意味に意味はない。
 意味による充溢という精神病的モデルを唾棄するのは、むしろ特殊近代的な神経症的モデルにすぎない。わたしたちは、とても長い間意味によって満ちた世界を生きてきたし、今も生きて [...]

手が届くということは、見えないということ

 もっと目が覚めると、もっと呼吸が浅くなる。
 目覚めているより、もっと目覚めているのは、高い山に登るようだ。
 気が付かないうちに、空気が薄くなっている。
 時の流れに呼吸が追いつかない気がして、慌てて呼吸すると、もっ [...]

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