ムンタザル・アル=ザイディとアラブのホスピタリティ

 先日、ふとしたことから先生とムンタザル・アル=ザイディ(イラクでブッシュに靴を投げた記者。実際は「アル=ザイディ」という発音にはならないが、こう表記しておく)の話になった。「君はどう思うか?」と問われ、自分なりの意見を述べた後、うかがった先生の考えが、ちょっとハッとさせられるものだった。
 普段先生と話していて「やっぱりアラブ人は違う」といったことを感じさせられることは、ほとんどない。所詮同じ人間であって、文化や言語は当然違うものの、ハッと裏をかかれる、まったく自分の発想の中にはない、という経験はそれほど味わっていない。もちろん、向こうはアラブ人といっても外国人にアラビア語を教えるのに慣れたインテリであって、お互いにそれなりに親しくなっているので、大いに気を使わせてはいるのだろうけれど。
 また「文化的差異」についても、ステレオタイプ的なことは興味をもって勉強している人間なら、それなりにわきまえてはいるものだ。例えば「左手を挙げて挨拶するのは失礼」といった紋切り的なことなら、いちいちインパクトを受けたりしない。
 でも今回の先生の意見は、言われてみれば確かに「アラブ的」ではあるものの、自分の発想の引き出しの中からはすぐに出てこないものだった。
 彼は言う。「わたしは嬉しいと同時に、恥じらいもする」。「嬉しい」理由は明らかだ。「恥ずかしい」方について、わたしは最初「抗議の気持ちは当然だが、靴を投げるというやり方はいかがなものか」という意味だと思った。わたし自身にもそういう気持ちがあったし、日本で生まれ育った人間としては、割と平凡な反応ではないかと思う。
 だが先生が「恥ずかしい」理由は違った。「彼が靴を投げたのがイラクだったからだ」。
 イラクというのはムンタザルの国だ。つまり、ブッシュは客人ということになる。客人には、例え敵であったとしても、もてなしを与えなければならない。どんなに憎かったとしても、決して手を上げてはならない。
 「もし彼がアメリカでブッシュに会ったなら、靴を投げたって構わない。わたしも殴りたい。だが、自分の国に来た客人であれば、決して殴ったりはしない。たとえ敵でもだ」。
 アラブのアッディヤーファリァル・カル韓ァル・ゥ(ホスピタリティ、もてなしの精神)については、知識として知ってはいたし、また感じさせられる機会がなかったわけではないが、こうした場面でも「客」という発想が出てくるのは、ちょっと想定していなかった。
 それでも、ジョージ・ブッシュと彼の軍隊が、最悪中の最悪の「客」であったことは間違いないと思うが・・。

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