エジプト映画「アサル・エスワド」日本語字幕

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 以前に何度か触れた映画عسل إسود(黒い蜂蜜)の字幕を付けました。


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 アラビア語力・日本語力共に乏しく、そもそも字幕翻訳というのは本来独自の技術を要するものかと思うので、お粗末な字幕ではありますが、この素晴らしい映画を少しでも多くの方に楽しんで頂きたいです。
 エジプトの映画が現実のエジプトからかけ離れていることはよく指摘されることですが、この映画は、テーマの関係もあって、他の映画よりは少しだけ「リアル」です。もちろん、カイロがこんなに綺麗な訳はないし、主人公がお世話になるサイード一家も、何だかんだで中流以上の家庭に見えますが。
 この映画は、幼い頃に両親と共にアメリカに渡ったアメリカ国籍をもつエジプト人が、二十年ぶりに憧れの祖国に里帰りする、という物語です1。そのため、彼が本当のエジプトを知らず(とりわけ、現実のエジプト人が味わっている無数の困難や侮辱、苦痛)、現代エジプト事情やスラングを理解できない、ということがストーリーのポイントになっています。ですから、極めて文化的・言語的要素の大きい映画で、そういう意味でも翻訳してしまうと意味不明瞭な箇所が多くあります。また、主人公のアラビア語は、本当の外国人であるわたしたちから見ると立派なアラビア語エジプト方言に聞こえますが、エジプト人から見るとかなりおかしい箇所が結構あります。
 そうした字幕に反映できなかったポイントについて、勉強を兼ねて、以下で出来る限りの範囲で解説させて頂きます。もちろん、わたしが気づいていない言い間違えやヒネリなどもまだ沢山あるはずです。
 とにかく、外国人であるわたしに分かる範囲だけでも、短い場面にも非常に多くの文化的含意が込められていて、伏線の張り方も絶妙で、計算しつくされたシナリオだということが分かります。
 
 まず、タイトルの「黒い蜂蜜」ですが、これは「蜂蜜は甘くて美味しいけれど、色は黒い」という、良い要素と悪い要素があいまっている状態を示す表現です。見た目は美人だけど性格の悪い女の子などにも使います(笑)。ここではもちろん、エジプトという国をさしています。「問題だらけだけれど愛おしい国」ということで、多くのエジプト人だけでなく、わたしを含めてエジプトにつかまってしまった外国人にも通じる感覚かと思います2
 また、主人公の名前はمصري سيد العربي(マスリー・サイード=ル=アラビー)で、「アラブの長エジプト」といった意味があります。この名前だけでエジプト人は笑うでしょう。「マスリー」は「エジプト人」のことなので、これに由来する誤解やドタバタが劇中何度もあります。「お前は誰だ」「僕はマスリーだ」「俺らみんなエジプト人(=マスリー)だろ、エジプト人の何なんだって聞いてるんだ」といった調子です。
 日本人でもアラブに関心のある人なら知っているであろう定型句、「インシャーアッラー」「アルハムドリッラー」などは、カタカナでそのまま表記しました。「インシャーアッラー」は「アッラーがお望みなら」という条件節で、未来は思い通りにはならないという謙遜を表す表現です。「アルハムドリッラー」は、劇中最後の方で重要な役割を果たしていますが、「称えはアッラーに」といった意味で、何か良いことがあった時に「お陰様で」のようなニュアンスで使われます。劇中では、例え状況が悪くても、悪い中にも良さを見い出し、積極的にアッラーに感謝する、といった意味を、老人が語っています。
 
0:02:50 飛行機の中
 イフタールはラマダーンの斎戒で、日没後に食べる食事のこと。またラマダーン中は夜更かしする習慣があります。ラマダーンのクイズは、毎日一つクイズが出されるテレビ番組で、かつては風物詩でした。

0:03:36 飛行機の中 新聞
 エジプトの新聞の印刷が悪く、すぐインクが手に移ることをネタにしている。また、隣の男が新聞を身体の上に置かれて「事故にあった人みたい」というのは、交通事故などで亡くなった人が、警察などがやって来るまで新聞紙をかけられている状態のこと。

0:04:55 飛行機の中 アラビア語
 マスリーの隣の男に「アラビア語が上手だね」と話しかけられる場面で、マスリーは自信たっぷりに「向こうでも映画とかドラマとか見てたから流暢に話せるよ」と言っているのですが、その台詞でمسلسلاتをمتسلسلاتと言ったり、بربندをمرمنتと言っていて、言ってる先からおかしいです。隣の男も「ああ・・な、なるほどね」という調子で頷いています。

0:06:05 飛行機から降りる
 飛行機のタラップを下りるところで、マスリーが咳き込んで「ダクトの排気かな」と言っていますが、これはエジプトの大気汚染が酷いことをネタにしています。余談ながら、これは本当に酷く、個人的にカイロの一番嫌いなところは空気の悪さです。

0:08:00 タクシーの客引き
 タクシー運転手のラーディーが客引きしている場面で、マスリーは彼のアラビア語が分かりません。ラーディーが非常に大衆的なスラングを使っているからです。逆にそれが功を奏して、「外国人専用」のボッタクリタクシーに乗せてもらえることになります。
 ラーディーの台詞は、بيفصلو ويدُحرو ويسجروا في الابيج وبيحورا في أي هتش
 فصلとدحرは値切ること、سجر في الابيجは金を出し惜しむこと、حورで口先でうまいことを言う、هتشは口先だけの言葉、虚言のような意味。فصل以外はスラングです。

0:08:30 バン
 マスリーが「車はセダン?バン?」と尋ねて、ラーディーが「バン」の意味が分からない場面。まず、ラーディーの車は日本語では「バン」ですが、エジプトではこれは「マイクロバスの車」のように言われ、「van」というと、形は近いですが、個人乗用車の非常に高価な車、というイメージがあります。
 また、マスリーが「引っ張る」意味でفرارとかفرとか言っていますが、جرの間違いで、それを受けてラーディーがجرار=トラック、トラクターか?と聞き返しているのに、よく分からないまま頷いてしまっています。

0:09:30 車内
 ضرب(打つ)を「食べる」という意味で使うスラングを、マスリーが分かっていません

0:09:40 車内
 「これはفول بالصوص(ソース豆)だろ」とマスリーが言うと、ラーディーが「ああفول بالسوسだ」と返しています。二つの単語は発音が似ていますが、سوسは穀物につく虫のこと。
 この後、ラーディーがサンドイッチを60ギニー、水を30ギニーで売るなど、酷いボッタクリをしています。1ギニーは16円くらいですが、一番安いフールのサンドイッチなら1ギニー、水は劇中にある通り1ギニー半で買えます。また、両替の際に1ドル2ギニーというあり得ないレートでボッタくっています。
 ラーディーが「ボッタクられないように」と言うと、マスリーが「僕を誰だと思ってるんだ? 僕こそボッタくってやるさ」と返すのですが、この言い方が不自然です。普通は男性ならماتعرفنيشと言いますが、مش تعرفنيと言っていて、女言葉っぽく、いかにも外人のアラビア語、という感じです。
 その後エジプトの美味しいものが色々登場しますが、基本カタカナでそのまま書いています。最初に言うロッズ・ビ=ラバンというのは米と牛乳と砂糖のお菓子で、コシャリ屋のデザートなどによくあります。
 携帯を借りる場面で、ラーディーが携帯電話を借りて「電話ボックスをポケットに入れてるのか」と言っています。携帯が大きいという意です(別に大きくないと思うのですが)。
 電話番号を教える場面で、ラーディーがونيينで「11」という、スラング的表現をしていて、マスリーが戸惑います。その後のخمستاشرもコテコテにエジプト的発音です。これは伏線になっていますね。

0:12:54 車から降りて
 ラーディーに100ドルの料金を請求され、マスリーは車内でのラーディーの言葉を真似て「俺はドジじゃねえ」と言うのですが、كرودياをكرودياتと間違えています。こうした大衆的スラングは一般に難しいものですが、マスリーは色々な箇所でエジプトらしい「男っぽい」言い方をしようとして失敗しています。
 ラーディーが「俺の払いにしとくぜ」と言ってマスリーが本気にし、慌てて「عزومة مراكبية社交辞令だよ」と言いますが、文字通りには「(船などに)乗っている人の誘い」ということ。船に乗っている人が岸の人間に「乗って行けよ」というのは言っているだけ、ということから来ているようですが、別の由来も聞いたことがあるので、よく分かりません。この言葉は、劇中で何度か使われています。

0:17:20 レンタカー
 カセットの使い方を言われる場面がありますが、エジプトでは依然カセットが音源の主流です。

0:23:59 警官につかまる
 警官がاتسلى علىという言い方をしていますが、これはتسليةから来た言葉で、「~で楽しむ」ということ。ここでは「このバカで今日は楽しめそうだぜ」といったニュアンス。
 ちなみに、エジプトでは軍事上の理由などで撮影禁止の箇所が結構あり、メトロも厳密には撮影禁止です。しかし、注意されて素直に聞いていれば、余程のことがない限り外国人は安全です。もちろん、エジプト人であれば、劇中のように酷い目にあわされることがあり得ます。

0:24:30 警察署
 警察官が勾留の意味でقرفصةと言っていますが、元々は「膝を抱えてしゃがむ」という意味で、マスリーは意味が分かりません。その後、文字通りしゃがみながらコシャリを食べて、原義の「しゃがむ」意味で「しゃがむのはいいよね」と言っています。
 警察官の台詞は非常に暴力的なスラングで難しいです。
 警官の使っているياغمةはهيصةのような意味ですが、ここではرفاهيةとか「身の回りのことを助けてやれるヤツはいるのか」といった意味。放り出されても即ホームレスじゃないな、という意図です。

0:24:59 警察署の廊下
 マスリーが状況を示す単語を尋ねて、معكوش(捕まっている)と教えられるのですが、معاكوشと聞き間違えています。また、身元引受人が「保証する」ことを、يضمنيで良いのにيضمن علياと言っています。
 拘置所にブチ込むことをفسحと言っていますが、元の意味は「ブラブラ出歩く」「遊びにいく」という意味。マスリーはこれが分からず、「別にお出かけなんてしないでいいよ」と言っています。

0:27:26 警察署
 ラーディーが引受人になって警察から出る前に、警官がنفخ(息などを吹き込む)を「酷い目に合わせる」、بهدلのような意味で使っています。比較的よく使われるスラングですが、マスリーはよく分かっていません。逆にفسّىという「(風船などの)空気を抜く」、転じて解放する、という言葉で、نفخされたんだからفسىしてくれるんだろうな、と言っています。

0:28:06 車内
 マスリーが「ゆする、恐喝する」という意味でاستبزと言っていますが、正しくはابتزです。しかもこれはちょっと固い言葉で、状況からすると不自然です。

0:32:44 ホテルの外
 アメリカのパスポートが来て立場が逆転し、ラーディーがマスリーと腕を組んでいます。男同士が腕をくんだり手をつなぐのは、日本だと気持ち悪いですが、エジプトでは至って普通の風景です。お母さんと息子、というのもよくあります。
 逆に家族以外の男女が手をつないだり腕を組むのは、例え配偶者であっても、一部階層の一部地域での行動など、かなり限定的にしか見られません。もちろん、結婚していない間柄で手をつなぐなど論外です。

0:34:12 ナンシー・アグラム
 ラーディーがナンシー・アグラム(アジュラム)をクウェート人と言っていますが、レバノン人です。

0:35:22 路上の警官
 マスリーがアメリカのパスポートを出すと、ラーディーが「徴兵カードなんか出してどうするんだ」とツッコんでいます。ラーディーがアメリカのパスポートなど知らないためです。

0:37:47 デモ隊
 マスリーが「マスリー・アグラム」と言っていますが、もちろん「ナンシー・アグラム」のこと。

0:41:26 歌
 ここでの挿入歌については、こちらのエントリ参照。
 この場面は、俳優ではない一般のエジプト人が映されていて、非常に胸に突き刺さります。路上の男性の底知れなく深い瞳が印象的です。

0:42:42 マーイダ・ッ=ラフマーン
 ラマダーンのイフタールで、皆が長いテーブルで食事をしている場面がありますが、これはマーイダ・ッ=ラフマーンといい、ムスリムが多数派の地域(あるいは少数派の地域でも)の至るところで見られる風景です。貧しい人たちが無料で食事をとることができます。
 劇中ではマスリーがその意味が分からず、「メニューはないのか」とか「デザートが食べたいんだけど」と言っています。

0:45:31 路上
 車で来て食べ物を配っている女性は、ディーナというダンサーだそうです。
 こういう風に個人が食べ物を配ったり、路上にテーブルを並べて食事を施す風景も至るところで目にします。別に宗教団体が組織的にやっている訳ではありません(そういう活動もありますが)。

0:47:15 イッティサラート
 「イッティサラート=連絡・交信のできる事務所に連れて行ってくれ」と言ったマスリーが、「イッティサラート社」に連れてこられてしまいます。イッティサラートはエジプトの主要携帯キャリアの一つ。ドコモのような存在。

0:47:41 コシュク
 コシュク(キオスク、街の至る場所にありコンビニ的存在)で、最初店主がالله يسهلكと答えていますが、これは物乞いをかわす時の決まり文句。マスリーが物乞いと間違えられています。アッラーがお助け下さる、ということですが、物乞いに対しても無碍に扱うのはダメで、こう返すのが礼節のようなもの。
 ラーディーが迎えに来てくれた後、マスリーがاتمرمنطと言っていますが、اتمرمط(ボロボロにされる、酷い目にあう)を言い間違えています。また、ラーディーがأزمة(危機)というのをجزمة(靴)と聞き間違えています。マスリーは「胸にキスする」と言って本当にしていますが、正しくは「手にキスする」です。

0:52:30 ブスターン・マハーミーズ通り
 通りの名前がマハーミーズمهاميزなので、単数形のマフムーズمهموزが住んでいる通りだと解釈して、道を歩いている人に「マフムーズさん」と話しかけています。
 話しかけられた人が「デブちんのサイード」تختخと言っていますが、マスリーはتتّخと言っています。

0:55:39 ファーヌース
 ファーヌースはラマダーンの時に掲げるランプのこと。ハマースが「ラマダーンのファーヌース」と言うと、マスリーはその形(コロンボの人形)が「ラマダーン」という人なのだと勘違いします。

0:58:08 食卓
 マスリーがخشاف(フシャーフ、フルーツのシロップ漬け)のことをشخاف(シュハーフ)と言い間違えて大爆笑されていますが、これはشخが「おしっこをする」という意味のため。アブドゥルムンシフが「そんなこと言われて飲めるかよ、君が全部飲め」と言っています。
 「モロヘイヤ美味しい」というマスリーに対し、家の女性たちが「わたしが葉をむしったأنا قرطفتها」「わたしが刻んだأنا خرطها」「わたしが息を吹き込んだأنا شهقت عليها」と言っていますが、これらはすべて大衆的な言葉で、マスリーは理解できずに「要するに料理したのは誰なの?」と聞き返しています。わたしも意味が分からずエジプト人の友人に尋ねました。شهق علىで「息を吹き込む」というのは、モロヘイヤのスープを料理する時に息を吹き込むようなことをするそうです(ちょっと自信がない)。

0:59:46 アブドゥルムンシフとマスリー
 マスリーの長髪が気に食わないアブドゥルムンシフが、マスリーに「髪を結べ」という意味でلمと言っていますが、この単語は元々جمع集めるという意味です。マスリーは現代的な用例が分からず「集める」のだと思い、床に落ちた髪の毛を「集める」と答えています。لمやاتلمは、かなり広い意味で使われる単語です。
 また、「髪の毛を覆う」という意味でاتحجبとアブドゥルムンシフが言っていますが、これはヒガーブحجابと語根が同じで、女性がヒガーブ(ヒジャーブ)をする意味であり、アブドゥルムンシフがかなり怒って侮辱的表現を使っているのが分かります。この言い回しは後の場面に関連してきます。

1:00:22 寝室
 サイードがマスリーに亡き父のガラベーヤを差し出し「ゆったりするよ、リラックスするよ」という意味でريّحと言っていますが、ريحはアッラーが安らかにされる、つまり「死ぬ」という意味でも使われるので、マスリーは「それ着たら僕も天に召されちゃうよ」と返しています。
 マスリーはサイードが「一緒に寝よう」というのを頑なに拒みますが、男性同志が同じベッドで寝るのは、腕を組むのと一緒で、エジプトではそれ程変なことではありません。
 ベッドの中で会話する時、マスリーに仕事を尋ねられたサイードがعواطلي失業者と答えていますが、これも現代エジプト的表現で、かつوزن母音パターンが職業名の形のため、マスリーは仕事の名前だと勘違いして「その仕事に満足してる?」と聞いています。

1:04:21 ヴェスパ
 サイードがلقمة هنية تكفي مية(僅かな食べ物も喜んで食べればご馳走)をもじってفيزبا هنية تكفي مية(ヴェスパも喜んで乗れば沢山乗れる)と言っています。
 ちなみに、vespaをエジプト人が発音するとfesbaになって、慣れないとなんだか分かりません。

1:07:14 食卓
 裸で出てきたマスリーが、ムンスフに怒られないように慌ててヒマール(女性が髪を隠すために被る衣装の一つ)を着ていますが、「ちゃんと覆ったよ」と言うマスリーに対して、ムンスフが「大事なのはاقتناع納得していることだ、何日かして脱いでしまわないようにな」と言っています。これは女性がヒガーブを始める時に使われる決まりきった表現です。ヒガーブを強制として被るのでは意味がなく、苦痛になる、だからきちんと理解し納得して被らなければならない、ということです。もちろん、本来は女性に対してのみ使われる言葉です。

1:17:05 バルコニー
 バルコニーの排水の名前(ミズラーブ)を「ジルバーブ(外套)」と言うマスリーに対し、لن اعيش في جلباب ابي「我が父のジルバーブでは暮らさない」とサイードが言いますが、これは映画のタイトルです。
 その後、二人がぶどうを投げ、下の通行人がそれを食べてしまった時、「今の痛んでるبايظةヤツだよな」というマスリーに「まったくبايظةだよ」とサイード言いますが、サイードが暗黙的に言っているのは、الدنيا بايظة「世の中がダメになった」ということです。

1:20:55 ムンスフとマスリー
 マスリーがتفهات(些細なこと)と言おうとしてمتهات(迷った場所)と言い違えています。

1:25:10 学校
 サイードが「教頭が来る前に行って来いروح لحد ما حضرة الناظر يظهر」と、「来る」意味でيظهر(出現する、現れる)を使うと、マスリーは「出現するの? じゃあ今隠れてるの?」と返しています。
 この場面は、英語の先生であるミルヴァトが「エジプシャン・イングリッシュ」を炸裂させるとてもコミカルな場面ですが、ミルヴァトを演じている女優さんは、主演のアフマド・ヘルミーと反対に、本当はすごく英語が上手らしいです。

1:28:24 学校を出て
 「ミルヴァトがبيئةになっちまった」とマスリーが言っていますが、بيئةはエジプト方言スラングで「下層階級、教養のない大衆」といった意味。

1:30:07 モガンマアで
 庁舎の中の男性に対し、マスリーが「ラシャーがよろしくって」と言うと「ラシャーって誰?」と返され、「これこれ」とマスリーがお金を出しています。رشاラシャーは女性の名前ですが、رشوة賄賂の隠語です。
 この男性は立派な人で、賄賂を受け取りませんが、マスリーはまだ疑っていて、男性の言葉が「これじゃ足りない、もっとよこせ」という意味ではないかと勘ぐっています。
 余談ながら、この辺りの探り合いに長けていることは非常に重要なことで、エジプト社会を生き抜く上では重要なスキルです。腹の探り合いという意味では、どこの社会でも一緒かと思いますが、外国人には非常に難しい話です。

1:31:49 アメリカ大使館
 大使館にビザを取りに来た男性との会話で、彼がアメリカの地名を正しく発音しないので、マスリーもからかっています。「カタフォルニア」がどこにあるのか、と尋ねられて「مضيق جبل تامرのあるところだ」と答えていますが、これは架空の地名。おそらくمضيق جبل طارقジブラルタル海峡をもじったものでしょう。تامرもطارقも男性名です。

1:33:52 マスリーとサイード一家
 マスリーとサイード一家とヒラールおじさんが居間で話す場面。ここは別に言語的に特に言うこともないのですが、個人的に非常に好きな場面なので、何はなくとも書いておきます。マスリーがキレて酷いことを沢山いいますが、あるエジプト人は「マスリーの言っていることは、残念ながら全部本当だ」と悲しそうな顔で言っていました。

1:40:03 プロパンガスを運ぶ
 サイードとマスリーがプロパンガスのボンベを運んでいる時、マスリーが「転がす」という意味でدرحدと言っていますが、これはدحرجの言い間違え。

1:42:51 ケーキ作り
 ムンシフが仲直りしようとしてマスリーに話しかけて、マスリーが「今だってチラチラ見てるだろ」という場面。マスリーはمن كحم لكحمと言っていますが、ケーキ作りの場面にひっかけてكحكと言っているだけで、元々はمنتحت لتحت。

1:44:22 イード
 マスリーがعيدの複数をعاداتと言っていますが、正しくはأعيادです。

1:49:50 公園、シャリール
 歌手の名前を尋ねられてشرير آه يا ليلと言っていますが、これは歌詞からとられたあだ名で、شرير عبد الوهابのこと。
 この公園で食べているフィシーフは、魚の酢漬けのような食べ物で、劇中で語られている通り、味はともかく匂いは酷いものです。食中毒が多いことでも知られ、あまりにも犠牲者が多いので、確か「フィシーフを食べるのはハラーム」というファトワーが出されたことがありました。

1:50:29 吐くマスリー
 サイードの家で吐いている時、「どうして自分のフラットに戻らないんだرجع」と言われ、「ここで吐いているرجّع方がいい」とダジャレで返しています。

1:52:13 ベッドのマスリー
 サイードのお母さんが、「フィリーフを食べると喉が渇く」という意味で「الفسيخ يحب الميةフィシーフは水を好む」と言うと、マスリーが「じゃあ水を、一つは僕に、一つはフィシーフに」と返しています。
 その前のところで「もう水も飲まないしフィシーフも食べない」というところを、「水も食べないしフィシーフも飲まない」と言っています。
 その後、انفتاخ(膨張)をانتفاخと言い違えています。

1:55:49 ケチャップ
 サイードがcultureをketchupと聞き違える場面。ケチャップはエジプトではكاتشبと発音され、「カッチャ」みたいに聞こえます。

1:56:26 マクハー
 このマクハーの場面は、マスリーがサイードが劇中何度か披露していたようなダジャレを作って見せる、というもので、マスリーがそれだけ「エジプト化」したことを示し、サイードがダジャレ連発していたことが伏線になっているのですが、ダジャレだけに翻訳してしまうと意味が分かりません。似たような日本語ダジャレで字幕をつけるのが正しいのかもしれませんが、面倒なのでそのまま訳してあります。
 شطة(唐辛子)をشنطة(鞄)とかける、ليمنو(レモン、ライムーン)をلاموني(彼らがわたしを責めた)に、قوم(立つ、~し始める)をعوم(泳ぐ)にかけています。

1:59:57 サイード母
 マスリーがサイードの母親に名前を尋ねると、「わたしの名前はウンム=サイード(サイードの母)だよ」と答えています。こうした「○○の父/母」という呼称は、敬意の込められた非常に一般的なもので、家族の中でも使われます。イードの時に皆でナイル沿いの公園に行く場面でも、ミルヴァトの母親とこう呼び合っています。一般的には長男の名前をで「○○の父/母」と言います。「タケシくんちのオバチャン」みたいな感じです。

 映画エンディングの歌については、以前にエントリを立てています。

  1. ちなみに、主演のアフマド・ヘルミーは、本当は英語が大の苦手だそうです。 []
  2. 余談ですが、「なぜエジプトが好きなのか」と問われると、非常に答えに窮します。そもそも好きなのかどうかもよく分かりません。「エジプトの良いところはどこか」という問いも、エジプト人には悪いですが、難しい質問です。逆に「悪いところ」なら十も二十もすぐに思いつくのですが(笑)。それにも関わらず、どうにも放って置けない土地というのがエジプトです []