目立つところに石を置く

 時々、「なぜコメント欄等をもうけず、まったくコミュニケーションをとろうとしないのか、反応がなくてつまらなくないのか」といったことを言われることがあります。
 紆余曲折あって、現在やっているこのブログは別段それほどアクセスがあるわけでもないので、反応もヘッタクレもないかと思うのですが、まぁ中には部分的に気に入ってくれる方もいらっしゃるでしょう。
 ただそうした方が良いと思った点が、わたしが良いと思った点と一緒である訳でもないし、わたしからすればまるで見当違いのことを評価されている場合もあるでしょう。
 何にせよ、何がしかに価値を見出したり価値を引き出したりするのは素敵なことですが、それはもう書き手の手を離れたお話です。
 わたしはわたしの良いと思ったことを置いておく。わたしにとっての価値は、それを発見し、断章として形にした時点で完了しています。
 面白い形の石を拾ったら、その石との出会い、そこに見出された面白みや美で、わたしにとってのお話は完結しています。ただそのまま放ってしまうと、他の人が見つけるのが大変だから、とりあえず目立つところに置いておく。その後、通りがかった人がどう思うかは、わたしの知ったことではありません。
 もちろん、同じ石を気に入ってくれる人がいたら嬉しいわけですが、彼または彼女の見つけたものと、わたしの見つけたものが同じなのかどうかは、わたしは知りません。
 目立つところに置いておいた分くらいは人から評価されて良いかもしれませんが、そうした気持ちは、目立つところに置かさしめた主に捧げるべきで、わたしは別のところで取り分を貰うので結構です。

 少なからぬ人がそうした気持ちでものを書いているのではないかと思うのですが、少数派なのでしょうか。少なくともわたしにとっては、大事なのは見つけた石ころなので、石ころを巡って人と語り合う等というのは、二次的・三次的なものに過ぎません。皆さんどうなのでしょうね、と反応でも伺ってみましょうか。

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