だっこマシン

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 これはただのウザい自分語りなのですが、よりによってウンマとの関わりを重視するイスラームというものに、多少なりとも関わるようになったということを、自分で非常に奇妙に感じることが多いです。わたしは病的なくらい社交嫌いな人間だからです。
 そう言うと驚かれることもあるので、少なくとも短時間なら大分騙すのが上手くなったようですが、未だに人間の細かい心の機微のようなものがよくわかりません。以前にテンプル・グランディンという方について書きましたが、彼女に非常に惹かれるのも、アスペルガー症候群である彼女の吐露に共鳴するところが大きいからです1。表面に現れる物理的特徴と、それに対応する人間の言語活動を紐付ける「心の中の辞書」を作っていった、と語っていますが、これとほとんど同じことを、子供の頃にやっていました。
 幼稚園の時に「フルーツバスケットができなかった」ということを記憶しているのですが、これもフルーツバスケットのルールは理解できるのに、それに付随する、人々を参加させている感情のようなものが、まったく分からなかったからです。ちょっと説明し難いのですが、対象の示す法則性を理解することはできるのに、その法則と「内面的」な情動や衝動とのつながりが理解できない、という状態です。これは今でも多少残っています。
 こうした連関が理解できないため、人間は突然わめき出したりする恐ろしい存在だと思っていて、常に次の瞬間に世界が崩壊するかもしれないような不安を抱えていました。これは「人間嫌い」というのとはちょっと違います。グランディンが、「だっこ」に対する欲求があるのに人に触れられことに耐えられず、「だっこマシン」のような機械を発明しているのですが、この感じはよく分かります2。ちなみに、この「だっこマシン」は、家畜を大人しくさせるための機械にヒントを得たそうで、家畜も程良い圧力で安全にぎゅーっとされると落ち着くようです。
 
 そんなわけで、多くのムスリムをションボリさせそうな恐ろしいことを書きますが、イスラームヘイトより、イスラーム共同体の方が怖いと感じることがままあります。
 別にイスラームであることはこの場合大事ではなく、ただ単にイスラームが人付き合いを大事にするから際立っているだけで、一般的な人間関係でも一緒です。
 ですから、こういう恐怖を感じているのはわたしだけではないはずで、強度は様々でしょうが、「怖いのは敵より仲間やで」というのは、割と一般的に見られる「真理」かもしれません。敵はもう敵ですから、害を及ぼすのは当たり前だし、別にびっくりしないでしょう。
 
 ですから、重要なのは「だっこマシン」のようなもので、うまく関わらせるアダプターを考える必要があります。誰が考えるかといったら、自分で考えるしかないです。「イスラームのウンマはアダプターが発達している」とか言えたら手前味噌でまとまるのかもしれませんが、はっきり言って別にそんなものは発達していないでしょう。ムスリムが多数派の地域は大抵異様に濃い人間関係に慣れているので、その分ユルさというか、多少ヘンテコなのがいてもボチボチやっていく傾向があるように感じますが、わたしのような頭のおかしい人間が心休まるような仕掛けなわけはないし、まして「日本のイスラーム社会」には期待するべくもありません。
 これは余談ですが、こういう点で、日本国内においてすら「外国人」のムスリムが多い状況は、個人的にはむしろラッキーでした。母語を共有しないというのは、不便もある一方で、非常に楽なことでもあります。外国で一定期間暮らしたことのある方なら分かるでしょうが、言語的なコミュニケーションが十全に取れないと、素朴でしょうもないことばかり話すしかなく、心が一回リセットされるようなところがあります。込み入った微妙な話題に入りそうになると、お互いの了解で「まぁ細かいところは伝わんないから仕方ないね」という、良い諦めが入ります。加えて、言葉が十分に通じないと、最終的には相手を信頼するしかありません。悪意を前提にしたら、到底付き合いなどできませんから、基本的に相手はそこそこ「良い人」だと思うしかありません。こうなったら諦めもつくし、逆に「良い人」と期待されるとついうっかり「良い人」のように振舞ってしまうのが人というものなので、難しいことを考えずに平穏に暮らせるところがあります。物事徹底的に考えても大抵ロクなことになりませんから、諦めて昼寝でもする方が正解です。
 
 例によって怒られそうなことを書いてしまいましたが、だっこマシンがまだできていないので、遠くから生暖かい目で見てやって下さい。わたしも遠くから生暖かく見ています。

  1. 彼女の容姿も、どこかロボットのようで、超人的な美しさがあり惹かれるのですが、これは当人に言ったら嫌がるかもしれません。わたしは自分をロボのように感じることがあるし、良いロボになりたいと思っていました []
  2. わたしは触れられること自体にそこまでの恐怖を感じることはなかったし、今もそこまでないですが、次の瞬間に人が豹変するのではないか、という不安が通底するように感じます []



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