もう選ばれちゃっていることを発見する

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 「小っさなムスリムを見つける」ことについて、書きながら何だか話が膨らんでしまったのですが、一番言いたかったのは、「外にある何かを選ぶ」のではなく、他人についても自分についても「元々本人の中にある何かを発見する」ことが大事なのではないか、ということです。
 「イスラーム良いですよー」みたいな話は、ムスリムが内輪でする分にはまだ良いかもしれませんが1、ムスリムでない人にそんな話をしても押し付けがましい印象を与えるだけではないでしょうか。「ここが優れている」みたいな比較の話なんて、「イスラーム」「他社」とかグラフで比べるパワポでプレゼンするみたいなもので、冷静に考えたら滑稽なばかりだし、そもそもそれこそ「選ぶ」発想ではないですか。「宗教A」「宗教B」がショーウィンドウに並んでいて、自由に選択できる(選択しなければ「無宗教」)、という見方そのものです2
 選ぶのではなく、選ばれるのでしょう。
 もう選ばれた人たちは、そこから振り返ると「選んだ」と「選ばれた」の区別がハッキリしなくて、色々理屈を付けて自分の選択の正しさを補強するような話をします。まぁ、内輪でやっている分にはそれも悪くないでしょう。でも本当のところ、そんなもの後付けの理屈ですよ。例によって恋愛で言えば、「何で好きになったの」の理屈を色々捏ねるようなもので、「優しかったから」とか言ったとしても、優しい人なんて他にもいくらでもいるわけですから、要は自分の現状を補強し確かめているだけの話です。
 
 元々自分の中にある何かを発見する、少なくともそのように当人が感じる、そういう営みを通じてでなければ、信仰なんて重荷になるばかりです。わたしならイヤです。
 「発見」を通じて「選ばれた」、正確に言えば「もう選ばれちゃっていることを見つけ」たとしても、傍から見れば「選んだ」ように見えることでしょう。後から振り返るのと一緒です。それは仕方ないです。外からでは区別の付かないものですから、そこは諦めるしかない。
 
 もちろん、何か本質的にイスラームであるものを「発見」したとしても、そういうエッセンス的要素は、他の宗教(この「他の」というのも、自由選択的匂いがして今ひとつ美しくないのですが)にも似たようなものがある可能性は多いにあります。そして、最終的に、ある人は狭義のムスリムになるだろうし、ある人はならない、何か別の信仰を持ったり、不定形な世俗的「信仰」の中で生きるかもしれない。
 他所へ行ってしまったら、信徒としてはまぁちょっと残念ではありますが、「発見」が具体的にどういう形を取るかというのは、もうアッラーの領分でしょう。
 ですから、選ぶのではなく発見するというのは、アッラーにお任せする、ということだと思います。そこから先のことは、わたしたちにはどうしようもない。
 自分自身についてだって、もしかしたらイスラームではなかったかもしれない。でも「もし」の話をしても仕方ないです。というより、生の単独性、瞬間ごとに永遠に取り戻せない時の過ぎていく一回性、空間が粘りつく液体で満たされているような一つである感じ、それこそ信仰の内奥にあるものだと思いますし、「アッラーの領分」でしょう3
 
 何でもかんでもやたら「アッラーにお任せ」するのはどうかと思うし、現代日本で育った人間としては、一部のボーンムスリムがそういう言い方を濫用するのにイラッとくることもあります。多分、本当にتوكل على اللهアッラーにお任せする、ということは、物事を「対象」として一旦疎外して思考するのではなく(「自由選択」)、呼応するものを自らの内に見つけることを通じて判断する、ということから来るのではないか、と考えています。「選択」ではなく「発見」として世界を見出すべく努める、あるいは、そのように世界が見える場所に立とうとする、ということが、توكل على اللهアッラーにお任せする、ということなのではないでしょうか。
 考えなしにそればっかり言っていたら、それはアホだと思われて仕方ないですよ。いや、全然考える脳みそもない域に達しているというなら、それはもうアッラーのお導きなのかもしれませんが・・。

  1. それすら時に鬱陶しいですが(笑) []
  2. 選ばないことでは無宗教にはなれない []
  3. この単独性をタウヒードと言って良いのかどうか自信がないですが、こういう面から考えた方が、わたしにとっては分かりやすいです。タウヒード、一なることは、現象としては様々に解釈できますが、よく言われるように「神の唯一性」と言ってしまうと、現代日本に育った普通の人間は「神様は一人で、他にいない」という風に考えてしまいます。つまり、「沢山いる可能性もあったけれど、一人である、と考える」という見方です。唯一性というのは、そういうことではなく、「のび太は世界に一人」みたいな単独性を言っているのであって、「メガネをかけている人は世界に一人」という話ではないでしょう。例によって酷い例えで申し訳ないですが・・ []