着ぐるみで暮らす

 着ぐるみを着て暮らしたいなぁ、と思うことがある訳です。勿論、実際にはちょっと、あるいはかなり難しいことですが、似たようなことを考えたことがある人はそこそこいらっしゃるでしょうし、似たようことを実行している方も結構いらっしゃいます。
 着ぐるみというのは身体を包んで別の形に見せてくれるもので、しかも大抵、記号的で明瞭な形をしています。動物とか、悪の怪人とか、象徴的な着地点がはっきりしているのです。わたしたちの身体はもっと不明瞭で、どこにどう落とすのかよく分からなくなることがあります。「腕を切断して反対にして再接続しなければいけないのではないか」とか、そういう無茶苦茶な念慮が現れたことが個人的にはありますが、そんな話でなくても、何というか、身体がある感じ、あるいは身体が形を持つ感じというのがよくわからない、遠近感が狂う、という体験をされた方(特に青年期)はそれなりにいらっしゃると思います。
 これをもっと、ベタで一般的なお話で言えば、キャラとかペルソナみたいなお話は少し似ているのです。着ぐるみは文字通りキャラです。ただ、いわゆるキャラとかペルソナというのは、それ自体既にある程度象徴化されていて、身体性とは異なります。正確に言えば、その身体というのも、ある程度肉としてまとまりのある身体、つまり通常わたしたちが認識しているような身体というものと、その下で虫が這い蠢いている身体というのがあって、ここで言いたいのは、後者を含む範囲での身体です(通常、着ぐるみは前者の身体の文脈でのみ使用されるものですが)。
 キャラの概念で(やや不適切ながら)例えるなら、キャラによる防衛、という視点があって、そこでは「本当の自分」がキャラによって守られている、とされます。しかし当然ながら、「本当の自分」などがあるわけもないのですが、重要なのはこの後で、だからといってまったくのエンプティ、空という訳でもないのです。何か虫のようなものが蠢いていて、それはわたしの切断された左腕だったりするわけです。
 一般的には、少なくともある程度の年齢に達すると、上で言ったところの前者のまとまりの良い身体だけが出発点になり、後者の方は括弧に入れられます。で、着ぐるみというのはその先だけなのです。勿論、普通は着ぐるみなど被って生活しません。
 一方で、まとまった身体の下にはいつでも虫が動いていて、それが始終見えてしまう人というのがいます。そういう人は、自分や他人を破壊したり、物凄い身体トレーニングを重ねるとか、痛みを加えるとか、圧倒的な言葉の量を持って封じ込めるとか(呪術的!)、そういうことで、虫とかピクピク動く千切れた腕というものに、形を与えようとします。着ぐるみというのは、そういう方策の一つとして意外と行けるのでは、少なくとも、この抵抗活動を他人に説明する上で割とわかりやすいのではないのか、とふと思いついた訳です。
 身体に殻を与えて、かつそれが極めて記号的で、「人間」というナゾナゾのようなものではない。そういうものを、自動で被っている人もいるし、殻のないヤドカリのように無防備な虫となって蠢いている人もいます。

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