『人類史のなかの定住革命』西田正規

4061598082 人類史のなかの定住革命 (講談社学術文庫)
西田 正規
講談社 2007-03-09

 以前にも読んだような気がしていたのですが、見当たらなかったのでとりあえず注文して読んでみました。
 従来、農耕の開始という点に重きが置かれていたものに対し、定住の開始、つまり遊動生活の終焉こそを本質的転換点として解き直した名著です。
 確か國分功一郎さんの『暇と退屈の倫理学』でも、定住革命がひかれていたと思います。これも非常に面白い本なのでオススメです。人類はその歴史のほとんどを遊動生活によっており、遊動生活ではゴミや排泄物の処理という環境問題がありません。汚れたら次の場所に行けばいいのです。こうした暮らし方をする動物は、本来、決まった場所で排泄する習慣がなく、これを訓練するのは大変なことです。犬や猫には元々決まった場所での排泄習慣がありますが、猿はあんなに賢いのにトイレの躾ができませんし、テレビに登場するお猿さんでもオシメをしています。人間も同様で、言葉を操り相当の知性を発揮する年齢になっても、未だにお漏らしをしてしまったり、片付けや掃除ができなかったりします。
 確か『暇と退屈の倫理学』ではこの辺の側面が特に取り上げられていたと思うのですが、逆に言えば、トイレの躾と掃除こそが、定住生活の土台とも言えます。トイレについては、成人ならまず出来ない人はいませんが、掃除というのはなかなか難しいものです。わたしは以前より、「地はそこを掃除した人のものだ」と考えているのですが、それは無限定な土地を人間の象徴秩序と結びつける最初の一歩が掃除だからです。

 いきなり話がズレましたが、長年慣れ親しんだ便利な遊動生活を捨て、定住生活に移行するにあたっては、いくつもクリアしなければならない問題があります。しかし農耕というのは、その前提条件ではありません。

栽培は定住生活の結果ではあっても、その原因であったとは考えられないのである。人類史における初期の低住民は、農耕民ではなく、日本における縄文文化がそうであったように、狩猟や採集、漁撈を正業活動の基盤においた非農耕低住民であっただろう。

 著者は、遊動の機能・動機を次のようにまとめています。

1 安全性・快適性の維持
 a 風雨や洪水、寒冷、酷暑を避けるため
 b ゴミや排泄物の蓄積から逃れるため
2 経済的側面
 a 食料、水、原材料を得るため
 b 交易をするため
 c 協同狩猟のため
3 社会的側面
 a キャンプ成員間の不和の解消
 b 他の集団との緊張から逃れるため
 c 儀礼、行事を行うため
 c 情報の交換
4 生理的側面
 a 肉体的、心理的能力に適度の負荷をかける
5 観念的側面
 a 死あるいは死体からの逃避
 b 災いからの逃避

 つまり、これらのメリットを捨てて定住を始めるということは、それを補って余りある利点と同時に、これらの問題を定住生活の中で別の手段によって解消または緩和してやる必要があります。
 本書冒頭でも、「災いがあったらとっとと移動する」という、遊動的思想の功利に触れられていますが、本来、面倒くさいことが起こったらさっさと逃げるのが一番なのです。定住思考にすっかり浸かってしまったわたしたちでも、いよいよとなれば逃げなければならないのですが、あまりにも移動に疎くなってしまい、最後まで逃げ遅れてしまうところがあります。
 上の諸条件のうち、ゴミ問題も重要ですが、興味ふかいのは「社会的側面」です。一つの場所で一緒に暮らしていれば、何かと面倒が起こるのは道理です。遊動生活なら、耐え切れなくなったらさっさとキャンプを抜けてしまう、という手もありますが、定住社会ではグッと腰が重くなります。いじめ問題なども、面倒くさくなったら学校なんかさっさと辞めたら良いのですが、そう簡単にもいかないのがわたしたちの社会です。
 また、「観念的側面」も興味深いです。定住すると死体をどうにか処理しないとならず、埋めてもずっとそこには死体があります。すると死というものと向き合わざるを得なくなり、墓が作られ、死が象徴体系の中に取り込まれます。というより、おそらく死こそが象徴化の最初の一歩だったのでしょう。

 定住というと、農耕が取り上げられることが多いですが、著者は漁業資源の利用を強調します。

漁業資源は、陸上で主な狩猟対象となる動物と比較して、単位面積あたりの生産量がはるかに大きく、しかも、高緯度地域以外では、年間を通じた漁獲が期待できる。

定置漁具は、魚類の行動を利用した自動装置であるために、使用する時に必要な労力は、獲物を探し、追跡し、接近して倒し、しかもそれを持ち帰らなければならない狩りや刺突漁に比べるとはるかに少ない。また、多くの場合、その活動は単純な作業の反復で構成され、高度な熟練や体力のない女性や子供、老人であっても行うことが出来る。

魚類は一般に危険性が少ない(・・・)魚類の知的能力が哺乳類などに比べて劣っている

水産資源の利用によって定住集落が出現すると、ここで「栽培化」が進行し、それが水産資源の得られない地域に拡散する過程で「農耕化」が促進された。

 一方で、定置網の漁具はサイズが大きく、狩猟用の道具に比べるとかさばり、持ち歩くことが困難です。これが定住化の一つの契機となったのでは、と推論されるわけです。

 本書末尾では、定住化とは別に、人類の誕生、ホミニゼーションについても触れられているのですが、ここで展開されている「オナガザルとの競合から常に道具を所持せざるを得なくなった」という論も面白いです。類人猿には、ゴリラのような大型と、ブラキエーションで移動する小型はいても、人類サイズの中型が抜けている、というよりこの中型こそが人類になった訳ですが、このサイズの類人猿では、パワーでもスピードでもオナガザルと対抗できず、道具の利用が必須となった、というものです。
 面白いのは、この道具が同種に向けられる可能性が生まれたことによる社会の形成、という視点です。
 コンラート・ローレンツも言っていますが、同種の個体を一撃で殺せる生き物は、普通「参った」のコードが埋め込まれていて、「参った」した相手に対してはそれ以上攻撃を加えない、という仕組みが出来上がっています(方や、鳩などは勢いで同種を死に至らしめてしまうこともある)。一方、人類は元々ひ弱で一撃必殺の武器もなかったのですが、競合他種との争いのために、突然に大きな力を手にすることになりました。これに対する「参った」コードは埋め込まれていないので、ソフトウェア的というか、社会的仕組みで牽制する必要が出てきた、ということです。著者は、人類の社会構造は縄文時代などよりはるかに昔からかなり複雑なものがあった筈だ、と推論しています。

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